泳げないわけではないが
酷暑が少しは涼しくなるような、泳いだ記憶を書いてみよう。
初めて泳いだのはプールではない。 10才のころ、東京が戦災の
怖れがあるとして、千葉の親戚に預けられた。 近くの小川は、
巾が5メートルくらい。 深いところでもお臍くらい。
夏休みの間、毎日、川に入った。 泳ぐというより、「水浴び」
だった。 それでも、水には慣れたし、息を止めて潜ることも
覚えた。
東京に戻ってからは、小・中とプールが無かったので、
暑い時は区営のプールに行って、自己流で泳いだり、
潜ったりしていた。
水泳では、三度、怖い思いをした。
そこは伊豆諸島行きの観光船が停泊する岸壁である。
10メートル位の河を挟んで、向こう岸は浜離宮である。
5~6名の子供達で向こう岸に泳いで渡ろうという話になった。
着ているものを脱いで、頭に載せて泳ぎ出した。
みんなスイスイ泳いで、向こう岸に着いた。
ところが、恐怖からか自分は中ほどでアップアップ状態。
みんなはふざけて溺れた真似をしていると勘違いして、
大笑いして見ていた。
然し、手と足を必死に動かしているうちに向こう岸に着いた。
みんな自分が本当に溺れかけたと云っても信じなかった。
【2】東京湾は「はぜ」が釣れる。 釣り場は方々にある。
東京湾に注ぐ河の河口に行った時のこと。 目と鼻の先に
お台場があった。 泳いで渡れそうに見えたので、着物を
脱いで、パンツだけで、スタート。 難無く泳ぎ着いて、
台場の中を見て回り、帰途に就いた。
ところが、帰りは満潮になったものだから、東京港の奥の方へ
流され、スタート地点へ戻れないという恐怖の襲われた。
それからは、スタート地点を目指して満潮に逆らって泳ぎ、
何とか戻れた。
【3】高校は靖国神社の隣りだったが、立派な室内プールがあった。
夏になったら、1年生男子全員、房総の興津にある、臨海寮で合宿した。
合宿最後のビッグイベントは砂浜から沖の岬まで往って帰って来る、
1万キロメートルの遠泳である。 事故に備えて救護船も出た。
自分は自信満々で、喜び勇んでスタートしたのだが、岬が近づいた
あたりで、外海の潮流にぶつかった。 この潮流は低温で、重い
感じがしたが、ふくらはぎがひきつれてきた。 救護船の先生たちに
相談した。 恥ずかしかったが、ギブアップして、船に載せて貰った。
水は怖い。