「迷い」と「決断」

「迷い」と「決断」は何回もした。

 

 時代や環境の違いがあり、ひとの役に立つかどうか疑問だが、

大学受験について記す。

 

 父親は明治生まれ。 大昔の学制で4年制の「尋常小学校」しか出ていないために、

会社で大学卒の若い連中に追い越されて苦労したものだから、「大学だけは出ておけ」とよく言っていた。

 

 然し、太平洋戦争末期に学校にあがったものだから、3年生の時に東京が空爆の危険があり、学童疎開で千葉県の親戚に預けられた。

 

 当然、学校はその土地の国民学校編入してもらった。

授業は受けたが、レベルは低かった筈。 それに、周囲は「本を読んで何になる」

という雰囲気で、家事や畑仕事を手伝うほうが主だった。

 

 1年過ぎて終戦を迎えて東京に戻った。 然し、母校は空襲で焼失。 地方から戻った生徒たちは焼け残った小学校に編入された。 紙も不足しているから、教科書も足りなかった。

 

 中学は教師も若く、熱意に燃えており、生徒も勉強に身が入った。

 

 然し、高校に進学したら、授業の内容が中学のそれと較べると格段に難しくなり、

空回りしてしまい、学力が大学受験できるようなレベルにならないことを自覚。

 

 浪人1年目は予備校に通うも受験は失敗。 予備校に行っても力が付かないと思い、

浪人2年目は図書館で独学。 自分としては自信を持って受験したが、またも空振り。

 

 この時点で、3浪しても合格の保証がなく、どうしようか考え込んだ。

 

 尚、将来の志望は海外勤務が出来る大手企業のサラリーマンだった。

 

 その時、父親が大学に行かなくても、ホテルの調理場でシェフの修行をすれば、

外国航路の船舶のコックになる道がある。 そうすれば、海外に行くことが出来る

ではないかと教えてくれた。

 

 ここで、即座にシェフの道に踏み出す決心は出来ず、取り敢えず、新聞広告で

見つけた大学の学食の調理場手伝いというバイトを始めた。

矢張り、大学への憧れは捨て切れなかったということだ。 

 

 ところが、春の学期が終わり、夏休に入った時、突然、2年間の勉強が勿体ない、

長い人生の中で1年は短い、もう1度だけ受験して駄目なら諦めようという決意が

生れた。 

 

 4~7月の4か月間、教科書も参考書も全く手を触れなかったのに、3年間の苦闘の

成果があがり、志望大に合格した。

 

 「何でもやれば出来る」という自信が出来たのがその後の人生に向けて、

何物にも変え難い、大きな財産になった。